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重要用語を抑えておけるタイピングです。みんなも一緒に覚えよう!テスト前に家でやるのに最適!タイピングが六十秒まで間に合わなければフラッシュカードで覚えてください。 【さらに】 八幡製鉄所 日清戦争の賠償金の一部でつくられた官営工場。1901年から操業をはじめた。 原料の鉄鉱石を中国から輸入、石炭は筑豊炭田を開発してあてた。日本の製鉄業の中心として、重工業の発展をささえた。 韓国併合 日露戦争後、日本は韓国に統監府をおいた。 初代統監伊藤博文が暗殺されたことがきっかけで、1910年、韓国を併合した。 日清戦争前の外交 日清修好条規・・・1871年、日本と中国が対等の条約を結んだ。 征韓論・・・西郷隆盛らが主張し、朝鮮を武力ででも開国させようとした。 日朝修好条規・・・1876年、日本は朝鮮に不平等な条約をおしつけ、開国させた。
用語一覧(25件)
王政復古の大号令
おうせいふっこのだいごうれい
1867年に大政奉還が行われ、天皇は王政復古の大号令を発した。翌1868年、年号を明治、江戸を東京と改めて、天皇中心の新政府樹立をめざした。
五か条の御誓文、五榜の提示
ごかじょうのごせいもん、ごぼうのていじ
1868年、新政府が天皇中心の体制を固めるために、天皇が神にちかう形で、五か条の御誓文を公布した。 ひろく意見を聞いて政治を行い、外国から新しい知識を取り入れて国を発展させていこうというもの。五か条の御誓文と同時に、国民に対し国民の守るべきことを示した。 徒党・強訴・キリスト教の禁止など、江戸幕府と変わらない政策を示した。
廃藩置県
はいはんちけん
版籍奉還の後も旧藩主と人民との間には、以前と同じような領主と領民の関係が続き、政府が直接支配ができなかった。そこで、1871年、藩を廃止して新しく府や県をおき、政府から府知事・県令が任命された。 新政府のもとに全国が統一され、中央集権国家の土台ができた。
四民平等
しみんびょうどう
士農工商を廃止し、士農工商は平等との原則にもとづいて、天皇の一族を皇族、公家・大名を華族、武士を士族、農工商を平民とした。 平民にも苗字(みょうじ)が許され、他の身分との結婚や住居移転、職業が自由になった。
富国強兵
ふこくきょうへい
政府は、日本を欧米列国に負けない強い近代国家に育てようと、富国強兵につとめた。 そのなかで重要な政策となったのが、徴兵制度、地租改正、殖産興業。
徴兵制度
ちょうへいせいど
1873年に徴兵令を発布、20歳以上の男子は身分に関係なくすべて3年間の兵役につくことになった。 近代的な軍隊制度が整った。
地租改正
ちそかいせい
富国強兵をすすめるため、財政の基礎をつくる必要があった。そこで地租改正にふみきり、地価(土地のねだん)を決め、地価の3%を地租(税)として現金で納めさせた。 地租は収穫高に関係なく、政府の収入が安定、国家財政の基礎が固まった。
殖産興業
しょくさんこうぎょう
国を富ませるために、官営工場をつくり、鉱山を開発したりした。 富岡製糸場・・・官営もはん工場として、群馬県の富岡に製糸工場が建てられた。フランスの機械や技術を導入。士族の娘たちが女工として働いた。
学制
がくせい
政府は、近代国家の土台は教育にあると考え、1872年に学制を発布し、全国に小学校をつくって義務教育の制度をとりいれた。 (大学と私立学校) ・昌平坂学問所⇒東京大学 ・慶応義塾(福沢諭吉) ・東京専門学校(大隈重信)⇒のちの早稲田大学 ・同志社英学校(新島襄)など
文明開化
ぶんめいかいか
欧米の思想や制度のほか、生活・風俗もとりいれられ、国民生活が欧米風に大きく変わった。 太陽暦の採用・・・1872年、それまでの太陰暦を改め、太陽暦を採用、また七曜制(1週を7日とする)がとりいれられた。 電信・鉄道が開通、郵便事業もはじまり、町には人力車や馬車が走り、れんが造の建物やガス灯が建てられた。人々の間には、洋服、肉食が広まった。 郵便制度・・・前島
福沢諭吉
ふくざわゆきち
豊前中津藩の士族。「学問のすすめ」を出版し、封建的な生活をやぶり、個人の自主独立と実学の尊重をとなえた。幕末に欧米に留学し、帰国後、慶応義塾を開き、人材を育成した。
西南戦争
せいなんせんそう
1877年、鹿児島の士族が西郷隆盛をかついで政府に反抗した。西郷は、近代的な政府軍に敗れ、自殺。 武力による反抗はこれが最後となり、不平士族の反政府運動は言論を中心に行われるようになった。
自由民権運動
じゆうみんけんうんどう
イギリス・フランスの民権思想が普及し、自由民権運動が高まった。 藩閥政治・・・政府の要職を、薩摩・長州藩出身者が独占。 1874年、土佐の板垣退助は、後藤象二郎や佐賀の江藤新平、副島種臣らとともに、民選議院設立の建白書を政府に提出した。 1874年、板垣退助らは高知で立志社を設立、国会期成同盟に発展。 1881年、北海道開拓使官有物払下げ事件がおこると、藩閥
政党の結成
せいとうのけっせい
自由党・・・1881年、板垣退助らが結成。フランス流の急進的な自由主義を主張。 立憲改進党・・・1882年、大隈重信らが結成。イギリス流のおだやかな議会政治を主張。
伊藤博文
いとうひろぶみ
1881年の国会開設の詔で10年後に国会開設を約束した政府は、翌年、伊藤博文をヨーロッパに派遣し、各国の憲法を調査させた。帰国後、秘密で憲法草案をつくった。 大久保利通の死後、政府第一の実力者となり、初代の内閣総理大臣になった。
大日本帝国憲法
だいにほんていこくけんぽう
1889年、天皇が国民にあたえるという形(欽定憲法)で、大日本帝国憲法が発布された。 君主権の強いプロシア(ドイツ)の憲法を手本につくられた。 天皇主権で、国の統治権・陸海軍の統帥権など、強い権限をもった。国民の権利と自由は、法律の許す範囲で認められた。 アジアで最初に立憲政治が実現した。
帝国議会
ていこくぎかい
憲法発布の翌1890年、最初の衆議院議員の総選挙が行われ、帝国議会が開かれた。 国民の選挙で選ばれた議員からなる衆議院と、皇族・華族の代表や天皇が任命した議員からなる貴族院の二院制。 衆議院議員の選挙権は、満25歳以上の男子で、直接国税15円以上をおさめる者に限られた(国民の1%)。
日清戦争
にっしんせんそう
日本が朝鮮半島に進出し、朝鮮を属国とみなしていた清国と対立した。 1894年、朝鮮で外国勢力の追放をめざす農民が、東学党という宗教団体と結んで兵をあげた(東学党の乱)。日本と清が出兵して対立を深め、日清戦争のきっかけとなった。 1894年、日清戦争がおこり、日本軍の連戦連勝ですすみ、清国が降伏、講和を申しいれた。
下関条約
しものせきじょうやく
日清戦争に勝利した日本は、1895年、下関で講和条約を結んだ。 ①清は、朝鮮の独立を認め、朝鮮から手を引くこと。 ②清は、台湾・遼東半島などを日本にゆずる。 ③清は、賠償金2億両を日本に支払う。
日露戦争
にちろせんそう
満州と朝鮮をめぐる対立から、1904年、日露戦争がおきた。 戦争は中国大陸の南満州を中心に行われ、日本軍は苦戦しながらも旅順・奉天の戦いで勝利した。 日本海海戦で、東郷平八郎ひきいる海軍がロシアのバルチック艦隊を破った。 一部の国民は戦争に不安をもち、孝徳秋水や内村鑑三らが戦争に反対、与謝野晶子は出征した弟を心配する詩をよんで国民の心をとらえた。
ポーツマス条約
ぽーつますじょうやく
1905年、アメリカのルーズベルト大統領のなかだちにより、アメリカのポーツマスで日露戦争の講和条約が結ばれた。 ①日本が韓国を指導・保護することを認める。 ②樺太の南半分を日本にゆずる。 ③遼東半島の南部の租借権を日本にゆずる。 ④南満州鉄道の権利を日本にゆずる。
ノルマントン号事件
のるまんとんごうじけん
1886年、イギリスの貨物船ノルマントン号が和歌山県沖で沈没し、イギリス人船員はボートで脱出したが、日本人乗客25人は全員見殺しにされた。 イギリス領事が裁判を行い、船長を軽い罪にしたことから、治外法権廃止を求める声が高まった。
不平等条約の改正
ふびょうどうじょうやくのかいせい
治外法権廃止・・・1894年、外務大臣陸奥宗光がイギリスとの交渉で成功させた。 関税自主権の回復・・・1911年、外務大臣小村寿太郎がアメリカとの交渉で成功させた。
産業革命
さんぎょうかくめい
第一次産業革命・・・19世紀末ごろから、製糸、紡績などの軽工業が発達。 第二次産業革命・・・日露戦争前後、製鉄・機械・造船などの重工業が発達。
足尾銅山鉱毒事件
あしおどうざんこうどくじけん
栃木県の足尾銅山の鉱毒が、渡良瀬川流域の住民に大きな被害をあたえた。衆議院議員の田中正造が、帝国議会でこの問題をとりあげたが弾圧され、1901年に天皇に直訴した。