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応仁の乱について解説していきます。 ___________________ (東軍)細川勝元:約16万人 (西軍)山名宗全:約11万人 結果:引き分け 応仁の乱は義政が義視を後継ぎに指名した。だが、義政に義尚が生まれたため後継ぎ争いが起こった。細川勝元が義視に味方し、山名宗全が義尚に味方した。全国の守護大名たちが細川方(東軍)か山名方(西軍)に分かれ、京都を舞台に戦いを始めた。
用語一覧(11件)
室町幕府8代将軍・足利義政は、弟・義視を後継ぎに指名していた。
むろまちばくふはちだいしょうぐんあしかがよしまさはおとうとよしみをあとつぎにしめいしていた
▶しかしその後、息子の義尚が生まれると、妻の日野富子は我が子を将軍にしようと、有力
しかしその後、息子の義尚が生まれると、妻の日野富子は我が子を将軍にしようと、有力
しかしそのごむすこのよしひさがうまれるとつまのひのとみこはわがこをしょうぐんにしようとゆうりょく
▶な守護大名・山名宗全に協力を頼んだ。
な守護大名・山名宗全に協力を頼んだ。
なしゅごだいみょうやまなそうぜんにきょうりょくをたのんだ
▶義視には、有力な守護大名・細川勝元が味方し、両者は対立した。
義視には、有力な守護大名・細川勝元が味方し、両者は対立した。
よしみにはゆうりょくなしゅごだいみょうほそかわかつもとがみかたしりょうしゃはたいりつした
▶さらに、他の守護大名の家でも後継ぎ問題が起こり、宗全派と勝元派に分かれて対立した
さらに、他の守護大名の家でも後継ぎ問題が起こり、宗全派と勝元派に分かれて対立した
さらにほかのしゅごだいみょうのいえでもあとつぎもんだいがおこりそうぜんはとかつもとはにわかれてたいりつした
▶こうして、宗全をリーダーとする西軍には約11万の兵が、勝元をリーダーとする東軍に
こうして、宗全をリーダーとする西軍には約11万の兵が、勝元をリーダーとする東軍に
こうしてそうぜんをりーだーとするせいぐんにはやくじゅういちまんのへいがかつもとをりーだーとするとうぐんに
▶は約16万の兵が集まり、京都を舞台に戦いを始めた。
は約16万の兵が集まり、京都を舞台に戦いを始めた。
はやくじゅうろくまんのへいがあつまりきょうとをぶたいにたたかいをはじめた
▶応仁の乱である。
応仁の乱である。
おうにんのらんである
▶この乱は勝負がつかないまま約11年続き、京都は焼け野原になった。
この乱は勝負がつかないまま約11年続き、京都は焼け野原になった。
このらんはしょうぶがつかないままやくじゅういちねんつづききょうとはやけのはらになった
▶幕府は全国を支配する力を失い、各地の守護大名たちは勢力をのばすために争いを続けた
幕府は全国を支配する力を失い、各地の守護大名たちは勢力をのばすために争いを続けた
ばくふはぜんこくをしはいするちからをうしないかくちのしゅごだいみょうたちはせいりょくをのばすためにあらそいをつづけた
▶こうして戦国時代の幕が開いたのである。
こうして戦国時代の幕が開いたのである。
こうしてせんごくじだいのまくがひらいたのである
▶室町幕府8代将軍・足利義政は、弟・義視を後継ぎに指名していた。